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29歳で年収800万円──数字だけ見れば、順風満帆なキャリアに見えるでしょう。
同世代の仲間からは「良いな」「すごいな」と言われ、実際に海外で挙式を挙げたり、海外旅行や世界有数のゴルフ場でプレーする体験もできました。100億円規模のプロジェクトで責任ある仕事を任される誇りもありました。
でも──その華やかさの裏で、心のどこかには消えない違和感があったのです。
「羨ましいな」と言われるたびに、本当に自分は幸せなのかと問いかけていました。
手に入れたのはモノや経験だけ。未来の安心は、どこにもなかった。
「この働き方を、10年後も続けられるのだろうか?」
「もし家族を持ったら、その時間を犠牲にすることにならないだろうか?」
想像した未来の自分は、疲れた顔で週1日の休みをやり過ごす姿。その光景を思い浮かべた瞬間、胸の奥に重たい不安が広がっていったのです。
執筆者
『つちとき塾』管理人。準大手ゼネコンで土木現場監督として7年勤務し、道路土工や橋梁工事など総額200億円超の工事に従事。その後も建設業界で経験を重ね、土木施工管理技士の資格取得支援や多数のWEBメディアでの執筆活動を行っている。|著書『土木工事が一番わかる(仕組み図解)』
『つちとき塾』管理人。新卒で準大手ゼネコンに土木の現場監督として7年勤務。道路土工、PC上部工、橋梁下部工工事など受注金額合計200億円以上の工事に携わる。その後、転職を経て、建設業界関連で合計12年間働き、現在は「つちとき塾」を運営しながら、土木施工管理技士の資格取得支援や多数のWEBメディアでライターとして活動中。|著書『土木工事が一番わかる(仕組み図解)』
私は4年制の大学を卒業して、準大手ゼネコンに就職しました。初めて配属された現場は土工事の現場でした。
「監督さん、早く丁張かけてよ」
と言われながら、
現場を走り回って、丁張をかけて、工事写真を撮る日々。
飯場の現場事務所に住み込みで働き、休みは月に5日という環境でした。正直、初めての現場が人生で一番辛かったですが、徐々に仕事を覚えてできることが増えていったことは、人生でもいい経験でした。
その後、2つ目の橋の現場を経験し、年収800万円を達成したのは3つ目の現場の時です。当時は、経済的にも精神的にも「やってやるぞ」という充実感がありました。
何よりも、自分の努力や成果が数字や待遇に直結している実感があり、それが日々のモチベーションになっていました。
具体的には──
・地元の人から感謝されるような100億円規模の大規模プロジェクトに携わるやりがいと責任感
・若くして部下を4名抱え、責任ある立場に抜擢された誇り
・震災の災害復興工事に従事し、地元の人から感謝される仕事
・海外で結婚式を挙げ、両親を招待することができた
・現場間異動の際に、1回のプレー代金が5万円(日本円換算)を超える世界有数の海外ゴルフ場でプレーできる特別な経験
これらは間違いなく、今振り返っても価値のある経験でした。
収入だけでなく、仕事を通じて得られた人脈や達成感は、今でも自分の財産になっています。
一見、順調そのものに見えた20代の頃ですが、同時に抱えていた課題もありました。それは、日々の充実した忙しさの中でふと顔を出す、将来への漠然とした不安です。
•休日の少なさ:週休1日+祝日出勤が当たり前で、身体を休める日がほとんどありませんでした。
•長時間労働:仕事に追われ、日々の帰宅時間は21時過ぎ。
•将来の生活イメージが描きづらい:上司はみんな単身赴任が当たり前。結婚、子育て、趣味…すべてが現実から遠く感じられました。
•体力的な限界の兆し:20代後半に入り、疲れが抜けにくくなってきた。50代で現場仕事をしている姿が想像できませんでした。
確かに休日は少なかったかもしれませんが、当時は自分の生きている世界全てが日曜のみの休みでしたし、ハードワークの経験は貴重な財産だった今では言えます。
また、危険な仕事というのも結婚してからネックに感じていた部分でもあります。ぶっちゃけますが、実際に現場で生命の危機に瀕したこともありました。
ヒヤリ・ハットエピソード3選
・坂に停めてあった無人の車が動き出し、車と衝突
・測量作業で現場内の山を登っていたところ、目の前にイノシシ
・直高7mの法面から転がり落ちた
「この働き方を続けていったら、10年後はどうなっているんだろう?」──そんな問いが、心の奥で少しずつ膨らんでいったのも事実です。
「ごめん、現場が変わった。東北に行ってくれ」
工事が終わり、異動を待っていた私が引っ越しの2日前にこのセリフを言われました。
新たな転勤先として言い渡されたのが、実家から500km以上離れている東北のある町でした。津波の爪痕が生々しく残り、ウミネコの鳴き声と水産加工場のにおいが漂う。そんな町でした。
正直、縁もゆかりもない町でしたが、仕事の都合で行ったこともない町に住めたのはいい経験でした。「これこそ全国転勤の良いところだな」と思っていまました。
(結局、その町に住むことができたので、縁はあったわけですが)
そんな生活の転機となったのは、妻の妊娠でした。「この生活を、この先10年続けられるだろうか?」という問いが、現実味を帯びて迫ってきたのです。
子供が小さいうちは現場が変わるたびに引っ越しを繰り返し、子供が大きくなったら単身赴任…
周りの先輩たちを見ているとそれが当たり前だと思っていました。
しかし、家族を持ち、守る立場になると優先順位は変わります。
平日も休日も仕事が中心の生活で、本当に子どもと向き合えるのか──。
大切な時間を逃してしまうのではないかという不安が、現実なものになってきました。
子供が産まれてからも一緒に引っ越しを繰り返し、友達が全然できない。「せっかく友達ができたのにまた引っ越しなの?」「ここから引っ越したくないなんて子供の悲しい顔を見るのは、絶対に嫌でした。
仕事に疲れ切って帰ってきたある日のこと。
「この暮らしを、ずっとは無理だよ。この会社でずっと働くの?」
妻からそう告げられた日の夕飯は今でも覚えています。
私は何も答えられずに、プレミアムモルツを黙って飲みました。
「あれ?ここで働くなら良いかも」
自分の人生を考え直し、妻と何度も会議を重ねた結果、思い切って転職を決意しました。妻が妊娠して里帰りをしていたこともあって、じっくりと考える時間が取れました。
結果として、転職活動に成功し、年収は約250万円下がったものの、得られたものは想像以上に大きかったのです。
・週休2日+祝日休みが当たり前になり、QOLが爆上がりした
・家族との時間がしっかりと確保でき、子どもの成長を間近で見られるようになった
・工事現場の経験を強みに変えて、今は働くことができるようになった
数字だけを見れば“後退”に見えるかもしれません。ですが、今の自分にとっては確実に“前進”でした。実際に、「転職しよう」と思ってから、自分と向き合う時間をとったことで、人生の優先順位を決めることができ、価値観が明確になりました。
やっぱり、人生の節目では、”考える時間”をとってじっくりと自分と向き合うことは大事ですね。
心のどこかで、「現場から離れる=逃げ」のようなマイナスのイメージがありましたが、そんなことはありませんでした。
現場で学んだことや、経験したことは自分の血肉となり、技術者として成長し続けることができます。
結局、私が考えていた「多くの人の役に立つ仕事をしたい」というのが叶う場所は一つではありませんでした。土木の仕事に就いている限りは人の役に立つことができると、転職を考えて気がつくことができました。
だからこそ、今一度自分に問いかけてみて下さい。
「今のあなたの仕事は本当にやりたいことですか?」
振り返れば、年収800万円だった29歳の頃も、確かに価値ある時間でした。あの頃の努力と経験が、今の自分を作ってくれたのは間違いありません。
でも──もしあのまま走り続けていたら、今の家族との時間も、心の余裕も、きっと手に入らなかったでしょう。
週1日の休み、終わりの見えない工期、気づけば年だけ重ねていく日々。
「いつか落ち着いたら」と言いながら、その“いつか”は何年待っても来ない──そんな未来が、はっきりと想像できたのです。
「パパともっと一緒に遊びたかったな…」なんていつか大きくなったら娘に言われたらと思うと、自分の一生を悔やんでいたかもしれません。
だからこそ、自分は動きました。年収は下がった。でも、人生は豊かになった。
子どもの笑顔を毎日見られる、趣味を再開できる、仕事も無理なく続けられる。
これが“自分が選んだ未来”です。あなたは、今の生活をこのまま10年、20年と続けて、本当に望む未来にたどり着けますか?
もし少しでも「違うかもしれない」と思ったなら──その感覚は、きっと正しい。動くかどうかは、今日決められます。
「まだ大丈夫」と思う今だからこそ、一度、自分の市場価値と可能性を確かめてみてください。
未来は、今日の選択でしか変えられません。
そして、その選択をできるのは、あなた自身だけです。
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